Neco の 陽なたぼっこ

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2007年 05月 28日

ホクレア ストーリー

始めて、ナイノアさんの目を見た時、その深い目に引き込まれました。
そして、時々、誰もが近寄れない位、遠くを見つめられる、その後ろ姿...。
何ものにも諂わず、常に真実を追求される姿を感じました。

仲間のひとりが、「子供達にメッセージを下さい。」と手持ちのレポートを差し出すと、
「子供達へのメッセージをこんな形では書きたくありません。
きちんと書きたいので、後日渡します..」と...。
私たちに沢山のメッセージを残してくださった数日間でした。

以下に、ホクレアにまつわるストーリーがありましたので、
添付させていただきました。
船の中に、亡くなったエディさんを奉ってある場所があります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私は、アンクル・エディが死んだ日のことを
ぼんやりとしか憶えていません。
ただ、その日
アンクル・エディの顔がテレビに映し出されたとき
テレビの前に座っていた父の頬が
あとからあとから流れてくる涙に濡れていたこと、
その光景が深く胸に残っています。
私はそのときまだ6歳でした。
でも、見たこともない父の涙に
とんでもなく悲しい事件が起こったのはわかりました。
私は父のそばに行き何が起こったのか訊ねました。
「この人はね、お父さんの従弟なんだ。
 彼は海で行方不明になってね、
 もう見つからないんだそうだ」。
私はもう一度、テレビに映る
アンクル・エディの顔を見ました。
優しそうな茶色の目、褐色の髪。
彼は私の父にとてもよく似ていました。


ホクレアに乗るアンクル・エディ。
Photographed by Dan Merkel

ハワイの歴史に残るほど
大掛かりで時間をかけた捜索が、
アンクル・エディのために
海と空から行われました。
でも、彼を見つけることはできなかった。
彼の乗ったカヌーが嵐のために転覆したとき、
彼は12マイル(約19キロ)東にある
ラナイ島まで救助を呼びに行くため、
ひとり海に飛び込んだのです。
15人のクルーが荒波に揉まれながら
カヌーの底に必死でつかまっているなか、
アンクル・エディは真っ暗な海に
サーフボードを漕ぎ出しました。
それが、人々の見たアンクル・エディの最後でした。
しかし、アンクル・エディはいつものように
まったく恐れることもなく、
みんなの命を救う大役を誇りに感じながら
海に向かっていったそうです。

アンクル・エディは、私の父と同様に
伝統あるハワイ人の血に誇りを持っていました。
彼の乗ったカヌーHokule'a(ホクレア)の航海は
Polynesian Voyaging Society(ポリネシア航海協会)
によって運営されたもので、
アンクル・エディがクルーに選ばれたのは
彼の血筋が大きな意味を持つと
判断されたからのようです。

この航海は、ホクレアにとって2度目のものでした。
ホクレアは、約800年前タヒチから人々が
カヌーで渡ってきた記録をもとに、
当時と同じ二つの帆と二つの船体を持つカヌーを再現し、
さらに近代的な機器を一切使わず
星だけを読んで進路を決める
古代のナビゲーションを用いて
先祖たちが通った道のりと同じルートを
たどる目的でつくられました。
こうしたホクレアの航海は、
アンクル・エディの心を動かしました。
彼もまた、先祖パアオが旅したその軌跡を
たどってみたいという思いに駆られたのです。
そうして1978年の3月16日。
ホクレアはマウイ島を出港しました。

出港してわずか数時間後、カヌーは嵐に見舞われました。
4メートルの高波がカヌーの横腹をたたきつけ、
転覆したカヌーから、
全員が荒れ狂う海に投げ出されました。
このまま発見されることもなく
溺れてしまうのではないかという恐怖が
みんなの心をよぎりました。
アンクル・エディは、9メートルの波もものともしない
ワイメア・ベイのライフガードです。
彼にとっては、そこでサーフボードを漕ぎ出すのが
当然の選択だったのでしょう。
そして、クルーの誰もが、
彼が波にのまれるはずはないと信じていた……。


アンクル・エディ遭難のニュースに
悲しみに暮れるアイカウ・ファミリー。
この日、ハワイ全体は大きなショックと
深い悲しみに包まれました。

翌日、ホクレアは空からの捜査によって発見され、
アンクル・エディを除くすべてのクルーは
無事に救出されました。

ヒーローだったアンクル・エディを失ったことは
ハワイにとって大きな損失となりました。
とくに、ホクレアのナビゲーターであり、
アンクル・エディの親友だったナイノア・トンプソンの
悲しみははかり知れないものでした。
ホクレア航海の中心人物だった彼は、
自分を責め、カヌーでの航海を
やめてしまおうとさえ考えたのです。

しかし、後になって彼はこう言いました。
「エディは、先祖たちがハワイを見つけた
 道のりをたどり、先祖と同じ体験をしてみたいという
 夢を持っていました。
 後悔や絶望で前に進めなくなるとき、
 僕はエディを思うのです。
 そうすると彼自身の夢が僕を導いてくれる。
 彼の魂はいつもここにいるんです。

 彼は救命員としてたくさんの人名を助け、
 最後は僕たちを助けるために
 自らの命を落としてしまった。
 エディが亡くなってから、僕らは航海を
 やめる選択もあった。
 でも、エディなら夢を途中で諦めたりしない。

 彼はいつも僕にこう言っていたんです。
 『俺たちの島を見つけるんだ』
 これは、先祖と同じようにハワイを見つけてみよう
 という意味だけじゃなく、夢を手に入れようという
 彼の強い思いだった。
 それに、彼の悲劇は、僕たちの航海が
 非常に厳しいものだってことをあらためて
 認識させてくれました。
 あのときは精神的にも肉体的にも
 完全には準備できていなかったってことをね」。

アンクル・エディが最後にサーフボードを
漕ぎ出していった姿が目に焼き付いて
「最愛の友を死なせずに済む方法が
 あったのではないか」と
苦しみの日々を送っていたナイノア。

しかし、ようやくナイノアは気がついたそうです。
アンクル・エディは彼自身が前に進むために
サーフボードを漕ぎ出したということを。
そしていま、ナイノアたちが前に進むことこそが
友の遺志を継ぐことになるのだということを。
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by necocafe | 2007-05-28 20:12 | Neco茶屋
2007年 05月 28日

ホクレア号とアマゾン

この数日の広島..う〜ん??一体どうなっていたんだろう?
と思える程、みんなが広島に集まった。
ホクレア号、アマゾン のカヤポ族ラオーニー、ガイアシンフォニーの龍村監督、
その他...いろいろな分野の人達が広島に一同した気がする。

ホクレア号は昨日午後、観音マリーナを出港した。
みんなで輪になってお祈りし、船に乗り込んだ。
ナイノアさんの優しさや深い思いが伝わってきた。
そして、クルーの皆さんとの交流....。。。
「また、きっと広島に来るからね〜!」
約束して去って行かれた。
沢山の感動をありがとう〜!
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ホラ貝が別れを告げた。
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なんと、観音マリーナを出た途端、ホクレア号が帆を....。
広島のみんなへのプレゼントだったんだね。
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で、いきなりですが、....アマゾンのラオーニと研子さんとのショットです。
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凄いメンバーでした。
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by necocafe | 2007-05-28 17:00 | Neco茶屋
2007年 05月 23日

アロ〜ハ〜 ホクレア号 宮島へ

今日、午後3時頃、ホクレア号が宮島へ到着した。
大島から宮島、包みが裏経由でのホクレア号...。
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宮島の鳥居を正面から望んで、第三桟橋へ...。
この度は鞆の浦から来た伴走船が一緒に走った。大きな帆を上げて..
やはり帆を上げると、とても凄い。
大島、宮島、鞆の浦...。なんだか深い繋がりがあるような気がする。

でも、鳥居をくぐるシーンが見たかったな〜! (ちょっと大きいので、無理だったみたい)
「葦舟は通れたのに〜!」と言うと、「やはり、大きいので..」との返答。
少し風も強かったので、仕方がないよね。
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出迎えのしゃもじの音で、近寄ったホクエア...
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いきなり、クルーの男性がロープを持って飛び込んだ。
「カッコイー〜!」黄色い歓声があがる。
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舟を降りる前に、ナイノアさん一同、輪になってお祈り...
そうなんだよね〜....一緒に意識を合わさせていただいた。
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ひとりひとりがやっと桟橋に足を...
たまたま目があったクルーのひとりとお話しをさせていただいた。
平和の火の事を...。とても、意味深いものとして受け止め、大切に
祈っていただいた事が伝わってきた。
(もっと、スムーズに会話できれば良かったのにな〜と改めて思う)
日本女性のクルーのかなこさんも...。
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大島から乗ってきたという3名の外国人の方もおられた。
クルーの肌の焼け方と違うので、成る程〜!と納得。
広場にて廿日市市主催の歓迎会が開かれた。
この度の航海は、日程がはっきりしなかった事等があって、
役所としての対応は大変だったようだ。
人力車と一緒に記念撮影
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90歳のおじいさんが桟橋から出迎えに来られていた。
どうも、ハワイのヒロにご縁のある方らしい。
最後にナイノアさんの方から、わざわざおじいさんの元に行かれ、
お話しをされていた。
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今、宮島はミッシュランの3つ星になったせいか、とても外国からの観光客が
増えたという。
今日は、私は、臨時、宮島人。宮島の法被を来て、出迎えさせていただいた。
今晩は大聖院に泊まり、いよいよ明日からは広島である。
 
アロ〜ハ〜  ホクレア号
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by necocafe | 2007-05-23 21:50 | Neco茶屋
2007年 05月 23日

ホクレア号と平和の火

先日、広島で行われてた平和の火のキャンドルナイト。その火が、山口のOさんの
手によって、この度、ホクレア号に手渡されました。
先程、Oさん からメールがきましたので、
皆様とシェアしたくて、ここにお送りさせていただきます。
思わず、胸がこみ上げてきました。葦舟と古代船、きっと遥か昔、共に行き来して
いたのかもしれませんね。

今日、宮島にホクレアが着きます。
打合せを兼ねて、会いに行ってきます。
                             
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
20日、灯は、無事ホクレアに手渡すことができました。
そのときの様子が"祝島市場ホームページ"に詳しく載ってます。
ホクレアへの"平和の灯火"受け渡しの場面もバッチリ載せてくれていました→http://www5d.biglobe.ne.jp/~jf-iwai/

その夜、ホクレア号の大島小松港到着とともに、ナイノア以下、クルー全員の手に分灯されたろうそくが灯り、瀬戸内の海に鎮めてあげたとの報告を受けました。
ナイノア以下、みんなが涙をながしていたそうです。

今、考えると、一度灯が消えて、広島に戻ったこと、その過程でのいろんな出来事、
とても意味があったことだと思います。
あの夜、Oさんが大変な想いをしてまでランプを買ってなかったら、
僕はランタンマットは郵送してそれで終わり今回のことはなかったことに
していたでしょう。

そして18日、ドームまで里帰りしてみんなの祈りの心も合わせたその灯をホクレアに
渡す必要があったのでしょう。

18日の夜、雨と川での水と灯と霊との融合。
20日夜、海での水と火との融合。
火と水。
火(カ)水(ミ)・・・・。

そしてこれからは、星の時代。
灯は、母なる海へと還っていく。
原爆と原発という分裂のエネルギーから融合のエネルギーへ。

僕の中では、言葉にならないいろんな想いがありました。

スケジュールが後れていた中、いろんな人たちがホクレアに心やモノを渡したい
という状況の中で、まして舟の上、
言葉たらずの説明に、灯を渡した意味とその処理の仕方に、少々大丈夫かな、
理解してもらえたかなとの思いも浮かびました。
が、僕の予想をはるかに超えて、完璧なまでに、
想いを受け取ってさらに彼らの深く広い想いをのせて、
灯に向かい合い、
そして、この星に融合してくれたことに、深い共感と感動を覚えました。



ナイノアさんはその後の大島町での講演でもその平和の灯のことを紹介され、
こうも話されてたそうです。

…戦争と平和のどちらをわれわれは選ぶのか。どのような価値観を抱いていくのか。
もしあなた方が自分たちの住んでいる土地や文化に根ざしていないとしたら、
また(とくに若い世代が)民族としての自覚や尊厳を忘れてしまっているとしたら、
私は懸念を覚える。
大人たちの価値観を体現していくのは子どもたちだ。教育は最も重要、何を教え
伝えていくのか…



この灯に関わらせてもらったすべての縁に、心からありがとう。
宮島でクルーに会ったら、よろしくお伝えください。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
20日、祝島でカヤックにのってホクレア号を迎えてきました。
まだ言葉に出来ないです!

祝島の櫂伝馬船とホクレア号、目頭が熱くなりました。

広島の火もホクレアに手渡されました。

感無量、いい祭りでした!

また言葉が落ちてきたらレポートします。

いろいろ写真見て下さい。
http://hokulea2.exblog.jp/6128606/
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by necocafe | 2007-05-23 09:10
2007年 05月 21日

平和の火....と、地震、雷、火事..???

やっと、終わった...。そんな清々しさがある。
18日、大雨と雷の中、平和の火、キャンドルナイトがあった。
まさか、こんな天気になるなんて...、

今まで、私が関わったイベントでは、不思議だけど、天気は関しては完璧だった。
自称、「晴れ女」を自負していたのだけど、...もしかして、「雷女」だったのかしら?
と思える程、凄かった。
丁度、準備段階から降り始め、終わった途端、雨と雷も終わった。
里帰りともいえる平和の火。
母の懐のように、静かで、厳かに、思い思いに川辺にキャンドルを持って
たたずむ姿....。
な〜んて、素敵なシーンを思い描いていたのだが、
現実には、クリスタルボールと、トーンチャイム、尺八の演奏に加わった、
稲妻と雷との競演。

次の日の新聞、「平和の火 お帰り」と参加者がテントの中で
ピースキャンドルと蝋燭の写真の横には、「落雷で停電、火事、県内」の
見出しが並ぶ。
スタッフ(一体誰がスタッフなのか分からない程、自由参加)みんな、
頭から足までびしょぬれになってしまった。

こんな話を聞いた事がある。「雷は神様がお祝いの花火を打ち上げているのよ。」と...
となると、さては、天空では神様がドンチャン騒ぎをしていたのかしら...?
厳粛に厳かに...の予定だったのに〜!
確かに、この平和の火に関わるという事は、人知では計れない事があるという
事かもしれないとつくづく思う。
それにしても、あれだけの悪天候の中、沢山の人達が参加してくださった。
インターナショナルスクールのメンバーも沢山参加。
中でも驚いたのは、松葉杖をついた女の子もいたことだ。
もし、私が単なる参加者だったら、こんな雨の中、出ていかないだろうな〜?
もともと、日本人の感覚と外国人の感覚は違っているのかもしれないと思う。
どんなマイナス要因もプラスにしてしまう、楽しんでしまうパワーがあるのかも..
そう思った。

雨も雷も一緒に終わったのだけど、雷って磁場を変えるんだ〜!と実感。
全然空気が違う。
周りに残ってくれたメンバーを見て思った。
そうか〜?もう、次の時代なったんだ〜!って...。
新しい風が広島に吹いてきた..。そう感じた。
新鮮で、クリアーで、清々しい...そんな若者達の時代になってきたんだ。
そう感じた。

そろそろ隠居かな?
しばらくは、次の世代の人達の為のアンテナであり、避雷針になるのかも
しれない。

よく、怖いものの例えで「雷、地震、火事、おやじ...」っていうけど、
次の日、震度1の地震があったから...

雷..よしよし...
地震..あったよね。
 火事..火には関わった...
で、..おやじ...〜??
そうか〜ネックは...ここだった〜!
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by necocafe | 2007-05-21 11:10
2007年 05月 09日

インターナショナルスクールへの訪問

 今日、インターナショナルスクールにてんとう虫の会の方と共に
ピースキャンドルを持って行ってきた。
 
 始めての訪問だ。  ここでは1年生から12年生までが混在している。
生徒の通訳のサポートをしてもらい、簡単にこの度の主旨を説明する。

ちゃんと、みんな真剣に聞いてくれた。 よしよし....。

そして、いきなり、12年生の部屋に9年生が混じってのペインティング。

休憩になると、小さな、きっと1年生か2年生ぐらいの子供達が
「先生〜」とやって来る。
なんだか不思議な感じがする。

12年生のクラスは7名の机が真ん中に寄せ合っての授業。。
みんなそれぞれ思い思いのスタイルで、机の上には水筒や、ペットボトルが...。

「う〜ん?デザインが思い浮かばん。」

「みんな平和って書いているから僕は四文字熟語だ〜!」
とおもむろに電子辞典を出して検索する子....

メンバーの1/3が純粋の日本人のようだ。
この子達は数年外国でのスクールに行っていた子達の模様。
どうも、授業についていくのは大変なようだ。

でも、普段見慣れた子供達の風景とは随分違う。
みんなのびのびリラックスしている。

そんな、のびきたった子供達の所で、いきなりイギリス人の赴任されて
きた、いかにもイギリスジェントルマンのスマートな先生が
「みんな、顔をこっちに向けて〜!」と
この度のキャンドルのメッセージの大切さや、
ご自分のお母さんの広島への思いを伝えられ、
「ちゃんとハートで描くんだよ。」とのアドバイス...。

そして、時間が後5分、3分...とカウントが始まった。
「こうしないと、みんなダラダラしてしまって終わらないからね。」と後ろで、笑顔。

ちゃ〜んとフォローしてくださった。

あれだけ、ワイワイしていたのに、先生の一言でみんなシャキットと真剣な顔になる。
う〜ん〜〜   このメリハリが大切なんだよね〜!

また、このメンバーに当日会えると思うとちょっと嬉しくなった。

う〜ん?? 我が子達...すでに遅し〜! 

まあ、それ以前の問題ありだけど...。(笑)
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by necocafe | 2007-05-09 21:10 | Neco茶屋
2007年 05月 08日

「平和の火」列島リレー

 この度、アースデイ北海道in屈斜路実行委員会の方から、原爆の残り火「平和の火」列島リレーのお話しがありました。
5月12日に星野村を出発し、6月22日の夏至の日でのアースデイ開幕のオープニングに使われる火です。
広島の原爆の火という、広島にとって原点ともいえます火
(http://www.atkyushu.com/InfoApp?LISTID=202&SCD=m199708)が、5月18日から5月19日の間、広島を経由致します。
その平和の火を囲み、私たちひとりひとりの想いを繋げる会を、以下のように開催したいと思います。
 九州から北海道までの「平和の火」列島リレー。 福岡県星野村から、遠く北海道の屈斜路湖まで約40日の旅を経てたどりつく火は、未来ある世界の子供達への希望、世界の平和、自然環境の大切さ、人と人の繋がりの大事さなど、多くのことを私たちに教えてくれることでしょう。

原爆ドーム対岸にある水辺にて、平和の火とピースキャンドル…
静かな空間の中に奏でられる 音と光 のコラボレーション….
ひとりひとり、キャンドルを手に、想いを 共に 繋いでいきましょう。

(5月19日から5月20日までは、福山のバラ祭りに参加予定)                                

■日時:5月18日(金) 19:10〜20:10
■場所:原爆ドーム対岸、親水テラスにて
■参加費:無料
*当日、こちらでも、キャンドルは準備しておりますが、もし、何か想いのあるキャンドルがあればお持ちください。

ps。宇宙を感じる音のインスタレーションがあります。一体どんな音になるのでしょう?
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by necocafe | 2007-05-08 11:02 | Neco茶屋