人気ブログランキング |

Neco の 陽なたぼっこ

necocafe.exblog.jp
ブログトップ
2007年 11月 02日

鎮守の森のお祭り 「神楽』

私は、小さい頃、中国地方の山間部の小さな村で育った。
その村には、各部落に神社があり、その殆どの神社ではお祭りの時
には神楽が舞われ、主な2つの神社では独自の神楽団を持っていた。

田舎ではお盆とお祭り、お正月が1年間の三大イベントである。
あまり親戚の多くない実家でも、この時ばかりと親戚や会社の人たち
を招待してご馳走を振る舞う。

一寝入りした頃、遠くから太鼓の一定のリズムが聞こえてくると、
いそいそと父は支度をして出掛ける。
「暖かい格好をしなさい、行くよ!」眠い眼で渋々出掛ける。
私にとって、それはちっともワクワクする行事ではなく、むしろ、
布団に入って寝た方がよっぽどいいのに..。
いつもそう思っていた。
でも、父のあの嬉しそうな顔を見るとついその言葉が言い出せなくて、
いつ寝てもいいようにと毛布を持って出掛けた。
そんな私の一番の楽しみは、屋台で売られる舟焼き(鯛焼きの舟版)
であった。

そこにはよく知った部落の人たちが集い、子供達は嬉しそうに一緒に
踊り、大人達は、楽しそうに語り合っていた。
吹きさらしの神社の中には所々に火鉢があるだけで、とても寒い。
どうしてこんな寒い所に行かなくてはいけないんだろう?
とちっとも興味の無かった私はいつも不満だった。

そんな私でも唯一見たかった舞は、大抵最後に舞われる「八俣の大蛇」
(やまたのおろち)である。一体今年は何匹大蛇がでるんだろう?
煙に巻かれ、大蛇が櫛名田比売(クシナダヒメ)を飲み込むシーンが
一番好きだった。
一体どうやって姿が見えなくなるのだろう?
時々衣装が見えてしまったり、大蛇が舞台から落ちてしまうハプニ
ングがあるとつい喜んでしまうのである。
ただ、この舞は一番の見せ場らしく大抵最後に舞われのである。
私は大抵、朝方まで我慢できず、いつも見損なってしまう。

田舎を離れ、いつの間にかお祭りに実家に帰っても、神楽を見る
事は無くなっていった。
一体いつからだったのだろう?父は、誰も誘わないで黙ってひとりで
一年も欠かす事なく出掛けていた。
そして、私は、結婚し子供を産み、家族が増え、また神楽を見る機会
が増えた。

男の子の初孫が出来て、父はとても嬉しそうにその子を連れて見に
行った。
神楽ブームになっても、私の中でのスタイルは子供の頃とちっとも
変わってなかった。
当たり前のリズム。でも、いつの間にかあの太鼓のリズムが身体に
染み付いているのを感じるようになった。

ある時、ある先生に会い、この地域が神楽の発祥地である事。
長い歴史を持っている事を知った。
この頃、様々な神社を訪ね、歴史を学び、神話を学んでいたにも
関わらず、生まれ育った地元から意識が離れていた事に改めて気
づき、愕然とした。
子供の頃、遊んだ木々、風、光..。守られていた自分を感じた。

鎮守の森。
村人は、昔昔から神を信じ、神社は神が宿る場所であり、
神楽は神に奉納し五穀豊穣や無病息災を祈る神事であった。
沢山の回り道をし、やっと原点に戻ってきた。
そう、やっと思えるようになった。

今は、寒かった吹きさらしの神社にはサッシが入り、大きなストーブ
が置かれ、快適な環境の中で神楽を見る事ができるようになった。
お祭り時期だけでなく、様々なホールで神楽が舞われるようになった。

神楽は、神座(かむくら)が語源であるという。
やっと、この年になって、その時の父の顔の意味が少しだけ理解でき
た気がする。

今晩は、その秋祭りである。今年は、いつもの場所ではなく、
別の場所に友人達と深夜に出掛ける事になった。
もっともっと山に入った小さな部落である。
昼間探しても分からなかった。
でも、きっと夜になるとあの音が響き渡るのだろう。。

by necocafe | 2007-11-02 09:48 | Neco茶屋


<< 『瀬戸内海事典』出版のご案内      羽が広がり大空に〜 >>