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2009年 09月 30日 ( 1 )


2009年 09月 30日

太田川上流、山の先生のレクチャー

この所、沢山、沢山書く事あったのだけど、結局時間がなくって..
(笑 言い訳です)で、つまり〜〜〜また、折りを見てね。
先日、「太田川を学ぶ会」の第2回が終わりました。
この時の勉強会からの「山の先生」からのレクチャーです。
〜〜〜〜
冒頭にプロペラの様な実を持参され参加者にこれは何かを問われ
て会が始まった(実は紅葉、かえでの実)。
自然の中で普段見落としている事の多い事。太田川の上流にある
三段峡には、カエデの種類が多く生息している。これはとても貴重な
ものである。
2段滝、3段滝には北海道でしか見られないような珍しい植物もある。
三段峡は特別名勝地となっているが、聞き慣れないと思うが、
これは国宝と同じようなものなのである。

中国山脈は南西北東の断層があり、それらが長い歴史の中で今の中国山脈
を形成しているが、実はまだ北西南東の断層も隠れている。

太田川上流である三段峡でも川の石が丸くなっている。
これは長い間の中で水流によって角が削られたものである。
ただ、三段峡の「関」がつく場所では鋭利な石が多く見られる。これは
近年において山が崩れて落ちたからである。タタラの製鉄方法に「かんな流し」
という製法があった。安芸太田町の豊平で行われていたが、
これは3/1000〜10/1000砂鉄が含まれている土を水に流すという製法であり、
これによって流された土が下流にある広島城内でも影響を与えた為に1917年に
禁止令がでたという資料が残っている。
島根県の三隅川ではかんな流しを長い間行われていたようだ。
今でも益田から浜田の海岸を見てみると山から流れてきた黒色の砂鉄が海岸の
砂浜見られる。

タタラ製鉄の燃料となる炭を作るために近隣の森林を破壊してしまったと
思われているが、実はそうではない。元々元来の山は今の様な沢山の木のある
山ではなく、雑木でできていた。
炭の原料はその雑木を使用するため、それらの木は2〜3年で大きくなり、
10年ぐらいで元の山に戻るからである。
ゆえに、タタラの場はその近隣の山の木がなくなると、10年ぐらいで別の場所
に移動した。
昔の山は、「肥草山」と呼ばれ、笹を刈って堆肥にしたり、草を取ってきて
肥料にしていた。今のような杉や檜の山は昭和20年以降の広島市の復興の為
に植えられたものである。復興に木が必要となった。杉や檜が高く売れるように
なったので、その当時殆どの山が植林されていった。その語、ラワン材等の外材が
安く入るようになり、杉が見向きもされなくなり、あれから40〜50年経った今
杉花粉が飛ぶようになり、間伐されない山では日照率が悪くなり、今のような山
になってきた。
そんな中で、深入山は昔から今も人と関わってきた山である。1749年にワラビ草山
の中でワラビの根からデンプンを取っていた。草は肥料として、..。今でも
年一回の山焼きをされている。このように人の生業と自然がマッチしてできた
山であり、草原のオアシスとなっている。
昔子供の頃、おじいさんに、川でおしっこをしても、「1m流ればきれいになる」
と言われたものである。それだけ浄化能力があった清流だった。
ところが、今、太田川に沢山あるダムのお陰で、水が直接流れない川、水量の問題等
多々ある。ダムをせき止めているコンクリートの壁の内側ではその流された土砂が
どんどん体積している現状がある。

質疑応答の中で、「ダムをぶっ壊そう〜!」という過激な意見も出て来た。

佐々木さんの三段峡のレクチャーは、マップにある時間の何倍も
かけてゆっくり花や草木を眺め、観察し、川を探索して6時間あまりを
かけて、ゆっくり楽しまれるという。
そのレクチャーに相応しい季節は5月の中旬からの新緑が一番きれいな
時期だという。
花が咲き、新しい息吹のパワーを感じる頃に三段峡から今でも昔の
生業の残る秘境のある集落等を訪れる計画を立てようという事になった。
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by necocafe | 2009-09-30 23:00 | 環境地球人